自分が嫌いでなぜ悪い

26歳会社員 いまだに「意味」とか考えちゃう

雨宮まみさんのこと

雨宮まみさんが亡くなった。

好きなライターさんだった。
彼女もまた、生きづらい人だったのではないかと考えずにはいられない。
ライターといっても様々で、ライター自身の名前が世に広く知られることはとてもめずらしいことだ。私はライターではないから、詳しいことはわからないが、外の人間からみても彼女は「成功側」の人間だったと思う。

彼女には、自分の名前が表紙に載るたくさんの自著があり、彼女のつむぐ言葉を待っている読者がいる。彼女にしかできない仕事がある。

私からみれば、自分の好きな仕事をするだけでなく、それを支持する人が多くいるというだけで、文句のつけようもなく、ただ憧れる存在だった。

それでも彼女のブログや連載を読んでいて印象に残るのは、自分を卑下し、下へ下へと持っていこうとする文章だった。自分を低くしか捉えられず、苦しんでいたのではないか、と思わずにはいられなかった。

彼女が亡くなる直前まで更新されていた、ウェブ連載の言葉が胸につく。

 

 

私は長いこと、自己評価が低かった。物心ついたときからそうだった。仕事や他のことではなんとか少し自信をつけることもできたし、今は自分に対して不当に低い評価をしているつもりはない。

 

〜中略〜

 

爪を何色に塗ろうが、どんなメイクをしようが、どんな服を着ようが、そんなことは小さな影響しか及ぼさない。圧倒的にきれいで、ずば抜けてかわいくて、魅力的な身体をしていて、性格が良くて ――そういう女が近くに来たら、自分なんかなんの意味もないゴミクズみたいな存在に思える。石田ゆり子さんのinstagramを見ていると、あまりにかわいすぎて言葉を失う。もう嫉妬すら起きない。目の前に石田ゆり子さんが現れたら、私にできるのは、横にいる男の手を握り、どうか行かないでと願うことだけだ。

引用:WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol13

 

なぜこんなにも自分のことを認めることができないのだろう。

彼女のinstagramだって、美しくてセンスのあるものに溢れていたし、美味しそうな料理の写真だって、自撮り写真だってあった。彼女だって、とても綺麗な人だった。

それでも彼女は、「ふつう」だったら気にもとめずに生きていけるような、社会のなかの小さな逆波や突起を、どうしてもそのままにしておくことができない「生きづらさ」を抱えていたのかもしれない。

 

この生きづらさはどこからやってきて、どうしたら私は、私たちは、救われるんだろう。

「こじらせ」という一言で丸めてしまえるほど、ちっぽけなことなんだろうか。どうして軽く生きられないんだろう。

 

雨宮さんの思慮の中に、私のことがかすったことなんて1ミリもないだろうけれど、私はあなたのまっすぐな文章に触れ、たくさん考えて、ときには涙を浮かべ、背筋がのびる思いでした。今はただ、安らかに眠られることを祈るばかりです。ありがとうございました。