自分が嫌いでなぜ悪い

27歳会社員 いまだに「意味」とか考えちゃう

子宮がん検診を終えたら、何かを捧げた気分になっている

 

先日、子宮がん検診を受けました。

私の住む市では特定の年齢になると無料のクーポンが送られてくるので、「無料ならば」ということで行ってみました。

 

この検診を受けるのは2回目なので、もうどんな感じのものかは頭で理解しているのだが、やっぱり何だろう、消耗する検査ですよね。

 

「はい、この棒でこうやってこうやってちょいちょいってやってきますからね〜〜」って、もう淡々と進んでいきます。(当たり前なんですけどね。産婦人科医にとってはもう女の人のアソコと向き合うなんて、私が毎日パソコンに向かうのと同じようなもので。逆に仰々しく「今から、この、棒を使って、なんと…」って重厚にいわれてもアレだし)

 

産婦人科特有の、あのイス。ウィーンっていいながら上昇して、背もたれが後ろに倒れていき、お尻を支えている部分が、左右に開いてくという。もうどうしようもないのだけど、どうしようもないのだけど。

 

もうほんとに滞在時間30分ほどで、あっという間に病院を出たけれど、

駅まで歩きながらぼーーーっ。

 

空が青いなあ……。

 

なんだろうこの気分。どこか感じる空虚感。

検診だから仕方ないのだけれど、人に恥部をさらすというのは予想以上に消耗するらしい。

 

ここはどこ。私は今まで幻を見ていたのかしら。今あの病院の前まで戻ったら、もう跡形も無く更地になっているかもしれない。狐につままれたような気分。

何かを捧げたような謎の気分で、気だるく会社へと向かうのでした。

 

 

 

「逃げ恥」のみくりさんの家事代行のお給料から考える

 

今放送中のドラマ「逃げるが恥だが役に立つ」が周囲でも人気です。

学生時代に戻ったかのごとく、放送後は「昨日観た?観た!?」といろんな人と言い合っています。原作の漫画からのファンである私は、毎回一人で声を発しながらホクホクして観ています。実写が原作より人気が出るのはなかなかないことですよね。

みくりさんと主人公の平匡(ひらまさ)さんが、キスをしたときにはもう、この感動を誰かに伝えたくて、マンションのお隣の住人さんのドアをたたこうかという勢いでした。

 

そんなドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では、IT系の会社員である主人公・平匡さんが、家事代行を雇うことから物語が展開していきます。

休日にたまった家事をこなすことに時間を消化してしまうのが嫌で、その時間をお金で買っているという。みくりさんに支払うお給料は20万弱……。

 

高い。

 

もちろんドラマなのでそこを否定するつもりはありません。

 

ただ、もし自分だったら家事にお金を払うくらいなら、土日で時間を喰われたとしても、やっぱり自分でなんとかするような気がします。

それは私が「主婦」という肩書きになったことがないからかもしれないし、女だからそう思うのかもしれない。実際に昔は、男は外でお金を稼いできて、女は家庭を守るのが役目と言われてきていたわけだから、家事というのは会社員の月給くらいの価値があるのかもしれないですね。

 

香港では、両親共働きが普通なので、家事はすべてお手伝いさんがやると、香港出身の友人が言っていました。その友人の家は住み込みで一緒に暮らしていたそうです。もしかしたら「主婦」という肩書きは香港にはないのかも。

 

日本でも夫婦共働きが当たり前になってきているようですが、家事を負担するのはまだまだ女性が圧倒的に多い。「なんで私ばっかり」と奥さんが不満を募らせて、夫婦仲が険悪になるより、その手間を外注したほうがよっぽどうまくいくかもしれません。

日本政府が掲げる「一億総活躍社会」とかいう計画も、男女の家事負担を均等にするのではなくて、全部外注にしたほうがうまくいきそうですけどね。

 

外注外注言いましたけれど、私にとっては家事は息抜きでもあるので、仕事と家事はなんというかセットになっています。毎日パソコンに向かっているからこそ、野菜をみじん切りにする作業が新鮮だし、掃除機をかけてホコリを吸い取ったり、布団のシーツを洗って、ピシッと干したりするのは、結果が肌で感じられて嬉しいものです。仕事ではそうはいかないですから。

やりたい人がやりたいようにやればいいと思うのですが、それは一人暮らしの人間の傲慢でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ「出世したくない=仕事に意欲がない」と捉えられるの?

 

大小多少の違いはあれども、会社で働いている人間なら、遅かれ早かれ昇級や昇進の機会はめぐってくるのではないだろうか。

私も先日、昇級(上がっても平社員なのですが)の可否を審査する、役員との面談があった。

 

 

結果からいうと不合格。来年も今の位置づけのまま過ごすこととなった。

 

 

私自身は会社での昇進や、課長や部長と呼ばれるような管理職を目指して働いているわけではなく、今の会社以外でも働けるような「仕事ができる人」になりたいと思って働いているので、落ちてもとくに支障はない。

受かれば毎月のお給料が数千円増えるので、その点では残念だ。

また、この試験に落ちたからといって、ふだんの業務で損をするようなこともなく、ただ本人の会社でのキャリアアップのために行うものだ。だから、落ちても私が損をすることは本当にない。

 

なのに、落ちたことに無性に腹が立つ。もう2週間ほど前のことなのに。

 

会社での昇級・昇進には本当に全く興味が無いのに、なぜこれほど腹が立っているんだろう。

たぶん、判定結果の紙に書かれていたコメントのせいではないかと思う。

 

 

 

 

「仕事にたいして受け身で、積極性や熱意が感じられない」(たしかこんな内容)

 

 

 

 

なぜそういうコメントが出てくるんだろう。

面接なのだから当たり前だが、私は、たとえば仕事の不満や会社への不満(こちらはたくさんあるが)などマイナスなことは一言も言っていない。それに、新人時代をのぞけば、「受け身」で仕事をしたりしたこともない。上司や先輩の指示がなければ仕事ができないわけでもない。自分の意見は言うし(とがった発言ではなく、あくまで自分はどう考えるかです)、効率化できそうなことや、こうしたほうが部署内の人たちみんなにとっていいのではと思ったことは、上司や先輩に許可をとって改善してきた。

 

自己評価が低くても、私は「自分なんてこんなもんだから、受け身で仕事をして、それなりにお給料もらえればいいや〜、私生活が充実していればいいや〜」という人間ではない。これはこういうスタンスの人を否定しているわけではない。仕事は仕事と割り切って、私生活に全力を注ぐのもアリだと思う。

ただただ「仕事ができるようになりたい、だれか人の役に立ちたい」という思いで、仕事をしてきた。むしろ仕事で自信をつけたくて、先輩の仕事も手伝わせてもらったし、とにかく数をこなさねばと躍起になっていたくらいだ。

じゃあなぜ「受け身で積極性なし」という評価がついたのか。

 

なんとなく予想はつく。

判定結果の紙には、講評が箇条書きで書いてあって、

「このコメントはおそらく私のあの発言を受けてだな」というのがなんとなく推測できるから。

 

たぶん、役員からの「将来部長(または管理職)になりたいと思う?」という質問に「いいえ」と答えたからだろう。

わかっている、この質問に対する正答は「はい」しかないのだ。

でも、心からそう思っていないのに、どうしても「はい」ということができなかった。

 

なぜ、管理職になりたくない=受け身的で熱意がない、ということになるんだろう。

 

赤字の続いている部署ならまだしも、私の部署は、赤字続きで崖っぷちの弊社のなかで数少ない、黒字経営&利益を出しているところだ。もちろん私だけの成果ではないが、本当に数人の部署なので、全員がそれぞれの仕事を完遂しなければ、利益なんて出ないだろう。

その一方で、ずっと机にいるけどこの人いったい何をして一日過ごしているんだろうか、と不思議に思うような人(特に、部長など管理職になれなかったおじさん達)だってたくさんいる。おじさんたちは社歴が長く、うちの会社は長くいる人が優遇されるような仕組みになっているので、管理職じゃなくても相当なお給料をもらっていることになる。

 

だから余計に腹が立つ。

 

管理職になりたくない=仕事に熱意の無い人、と捉えられたこと。

仕事量が少なく結果も出していないのに、上司へのアピールや面接での自分を魅せる演技・言葉によって昇級を続けてきて、たくさんお給料をもらっている人がいること。

 

もっと器用に、役員受けする正答を、自分の本心かのごとく並べられる人間になれればいいのだろうか。それが社歴を積むということなの?

 

そんなことなら本当にばかばかしい。だから赤字続きなんだよ。

 

そもそも、赤字が続いてしまうような経営体制を作ったのは役員たちではないか。数年前に入社した若手社員のせいですか?

選択が迫られる場面で、いつも判断を間違え続けてきた結果、こうなっているのに、なぜ偉そうにしているの?できてない人に、できてないと言われることに腹が立つ。

上司には「面接はにこにこして、明るく受け答えを」と言われたけれど、なぜ今の状況を作った役員の前でにこにこしなければいけないの?

 

会社員なのに、いまだにそうやっていろんなことの「意味」を問い続けて、器用に立ち回れない自分に腹が立つ。

こんなに文句があるなら、会社を辞めればいいのに、辞めずに働き続けている自分に腹が立つ。

 

私は今の自分の仕事が好きだ。

困っている人を助けたい、という思いを、自分の企画で実現していける仕事だ。

 

 

仕事ができる人間になりたい。誰にも異論を挟ませないくらい。

よくない感情にいつまでも心を奪われていないで、正しく成長したい。

だからこのブログに吐き出して、これでさようなら。

来年もまた昇級面談の季節が巡ってくるだろう。これからまた1年、納得のいくまで仕事と向き合って、どうどうとしていられる自分でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元気を出したいときに読みたい漫画「乱と灰色の世界」

 

 

 

毎日暗いことばかり書いている気がするので、今日は違うものを。

漫画です!漫画大好き!

 

仕事から帰宅して、あたたかい湯船につかりながら読む時間は本当に至福です。

特に、疲れていて、気分が落ちこんでいるとき。

そんなときに読みたくなるのは、入江亜季さん。

もうとにかくどの作品からでもよいので、まず一度本を開いてみてほしい……!

絵がね、本当にキラキラなんです。

見ているだけで幸せになれるくらい、かわいくて、美しくて、思わず笑顔になるような。漫画が好きで、描くことが本当に好きなんだなっていうのがわかると思います。

そのキラキラ感を、思う存分に堪能できるのがこちら。

 

 

 

乱と灰色の世界(BEAM COMIX)

乱と灰色の世界 1巻 (BEAM COMIX)

 

 

表紙からすでにどきどきします。本棚に置いてあるだけで、ほれぼれするくらいの美しさなのです。あ〜いいなあ……。

それまで短編の作品を中心に発表していた入江さんの、初の長編作品です。

内容を一言で表せば、主人公の漆間乱(うるまらん)という10歳の女の子の成長物語。彼女は実は魔女。魔法が不得手な乱ですが、家にあるサイズの大きな運動靴を履くことで、グラマラスな大人の女性に変身します。ふだんの乱は、学校になじめず、友達もいなくて、どこかさみしさを抱えている女の子。けれど放課後、その運動靴を履けば、弱気な自分が吹き飛んで、別の人間になれるのです。

彼女が大人の姿で出会った男性・凰太郎との恋らしきものや、魔法使いの一族とその敵・骸虫のバトル、乱の魔女としての成長など、いろんなストーリーが混ざりあって進んでいきます。

 

入江さんの画の魅力が一番感じられるのは、なんといっても「女の子」。もう出てくるキャラクターがみんな色っぽい。身体のラインや、髪の毛の流れ、まつげの一本一本まで、生命力にあふれていて、輝いているんです。色気のある女性を描かせたら間違いなく日本トップクラスではないかと私は思っています。それも、男性が描くエッチな漫画の女性とはまた違う、エロさがあります。

 

 話の主軸でもある魔法使いたちの敵、骸虫(むし)との戦いのシーンは、少々間延びした感はありますが、最終巻の第7巻まで、ぜひ読んでみてほしいです。7巻が私は一番好き。

 

 

乱と灰色の世界 7巻 (ビームコミックス)

 

 

大切な男性、凰太郎との別れによって(これはもう誰も悪くない、どうしようもない決別でした)、生きる希望を失い、文字通りひからびてしまう乱。

ひからびて、風に吹かれに散り散りになってしまった彼女だけど、同級生の男子・日比や魔女のお友達・仁央(にお)の助けを借りて生まれ変わります。

この第39話で絶対に泣いてしまう……。

 

いいことあるから 

きっとあるから 

あるからね

 

乱がそう言うシーンがあります。

私は何か落ちこむことがあったときには、この言葉を心のなかで唱えます。なんのことはない、ありふれた台詞かもしれないけれど、すごくグッとくる言葉です。

 

もうこの世界を見られないのかと、連載が終わってしまうのが悲しかったなあ……。

疲れているときにはファンタジーの世界に浸るのも一興かと。

冬休みに、こたつでほくほく読み進めるのもきっと楽しい作品です。

 

乱と灰色の世界 コミック 全7巻完結セット (ビームコミックス)

 

 

 

 

おおきなかぶを引っこ抜く

昨日は雨宮さんのことを書きました。

 

 

ok1287.hatenablog.com

 

文才があって、それを支持する読者がいて、instagramには綺麗な写真がたくさんあがっていて……。でも、自分が嫌いで、自分のことを卑下していた雨宮さん。

 今日なんとなく思ったのは、雨宮さんがinstagramをみて「あまりのかわいさに言葉を失う」と言っていた石田ゆりこさんだって、もしかしたら自分が好きじゃないのかもしれない、ということ。綺麗な人にだって、悩んだり、思うところがあっても不思議ではないよねって。

自分が嫌いな私は、雨宮まみさんがうらやましくて、同じく自分が嫌いな雨宮さんは、石田ゆり子さんのような、美しくて、圧倒的にかわいくて、性格も良い女性にあこがれていた。石田さんだって、もしかしたらまた別の誰かのことを思い、自分と比べたり、悲観することがあるかもしれない。

そんな一方通行の矢印(→)を考えていると、小学生のときに学芸会で演じた「おおきなかぶ」を思い出す。

おじいさんとおばあさんが、大きなかぶをうんとこしょどっこいしょと引き抜こうとするけれど、なかなか抜けない。抜けないから、孫を呼んで、孫は犬を呼んで、犬は猫、猫がねずみを呼んで、やっとこさ抜けるお話だ。余談だけど、私は児童みんなの役を増やすために急遽作られた、オリジナルメンバー以外の役だった気がする。

おおきなかぶが抜けなくて、苦しい。そんなときは、私と、あこがれのあの人と、その人があこがれるあの人も、みんな呼んで、一緒にえいっと引っこ抜けたら、みんな同時に楽になれんじゃないだろうか、と思うのだ。

人に言ったら、笑って一蹴されてしまうような考えだろうか。

そんなことできっこないと言えばそれまでなのだが、そんなことを考えた日だった。

 

 

 

 

おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本)

おおきなかぶ―ロシア民話(こどものとも絵本)

 

 

 

雨宮まみさんのこと

雨宮まみさんが亡くなった。

好きなライターさんだった。
彼女もまた、生きづらい人だったのではないかと考えずにはいられない。
ライターといっても様々で、ライター自身の名前が世に広く知られることはとてもめずらしいことだ。私はライターではないから、詳しいことはわからないが、外の人間からみても彼女は「成功側」の人間だったと思う。

彼女には、自分の名前が表紙に載るたくさんの自著があり、彼女のつむぐ言葉を待っている読者がいる。彼女にしかできない仕事がある。

私からみれば、自分の好きな仕事をするだけでなく、それを支持する人が多くいるというだけで、文句のつけようもなく、ただ憧れる存在だった。

それでも彼女のブログや連載を読んでいて印象に残るのは、自分を卑下し、下へ下へと持っていこうとする文章だった。自分を低くしか捉えられず、苦しんでいたのではないか、と思わずにはいられなかった。

彼女が亡くなる直前まで更新されていた、ウェブ連載の言葉が胸につく。

 

 

私は長いこと、自己評価が低かった。物心ついたときからそうだった。仕事や他のことではなんとか少し自信をつけることもできたし、今は自分に対して不当に低い評価をしているつもりはない。

 

〜中略〜

 

爪を何色に塗ろうが、どんなメイクをしようが、どんな服を着ようが、そんなことは小さな影響しか及ぼさない。圧倒的にきれいで、ずば抜けてかわいくて、魅力的な身体をしていて、性格が良くて ――そういう女が近くに来たら、自分なんかなんの意味もないゴミクズみたいな存在に思える。石田ゆり子さんのinstagramを見ていると、あまりにかわいすぎて言葉を失う。もう嫉妬すら起きない。目の前に石田ゆり子さんが現れたら、私にできるのは、横にいる男の手を握り、どうか行かないでと願うことだけだ。

引用:WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol13

 

なぜこんなにも自分のことを認めることができないのだろう。

彼女のinstagramだって、美しくてセンスのあるものに溢れていたし、美味しそうな料理の写真だって、自撮り写真だってあった。彼女だって、とても綺麗な人だった。

それでも彼女は、「ふつう」だったら気にもとめずに生きていけるような、社会のなかの小さな逆波や突起を、どうしてもそのままにしておくことができない「生きづらさ」を抱えていたのかもしれない。

 

この生きづらさはどこからやってきて、どうしたら私は、私たちは、救われるんだろう。

「こじらせ」という一言で丸めてしまえるほど、ちっぽけなことなんだろうか。どうして軽く生きられないんだろう。

 

雨宮さんの思慮の中に、私のことがかすったことなんて1ミリもないだろうけれど、私はあなたのまっすぐな文章に触れ、たくさん考えて、ときには涙を浮かべ、背筋がのびる思いでした。今はただ、安らかに眠られることを祈るばかりです。ありがとうございました。

 

 

 

 

自分が嫌いでしょうがない

私は自己評価が低い人間です。

低くて、卑屈で、「自分なんて」と思う人間です。

それがどんなに損をすることかもよくわかっています。

けれど、どうしても自分を評価し、認め、ほめてあげることができないのです。

「○○は思っている以上に仕事ができているよ」と先輩に言ってもらうことがあります。でも、自分ではこれっぽっちも、そう思うことができません。

同じように、周りで「この人はどうしてこんなに自己評価が低いんだろう」と思う人がいます。年上ですが、親しみやすくて、かわいい笑顔の人です。仕事だってちゃんとこなしているし、その人のことを悪く言う人を見たことがありません。なのに、「私なんて」という自己評価の低さに苦しんでいる。

その人に向かって「あなたはちゃんとできているよ」と言っても、効果はありません。私が先輩に言われたことを受け入れられないのと同じように。

人に「あなたは大丈夫。ちゃんとできているよ」と言うことはできるのに、自分への肯定的な言葉を受け入れることができない。

 

なぜ?

 

何が私たちを生きづらくしているのか。過剰な自意識でしょうか。

もしかしたら、私(や私の友人)のように、自己評価が低く、自分が好きになれず苦しんでいる同年代の人は一定数いるのではないかと思っています。それは言い方は悪いですが「オタクっぽい」見た目の人とか、地味な人だけじゃなく、ギャルっぽくて派手な服装の人も、いつもは強気な発言をして自信満々そうに見える人でも可能性はあると思います。

 

ブログをはじめることにしたのは、仕事やプライベートでうまくいかないことがあって、ずっとモヤモヤしていて、言葉にすれば気持ちも落ち着くのではないかと思ったからです。それは自分だけが見られる「日記」でもいいのもしれない。けれど、もし、さっき述べたように、自分のことを認めてあげられなくて苦しんでいる人がいるのなら、「同じように悩んでいる人がいるよ、あなただけじゃないよ」と伝えることができるかもしれません。私でもこんな自分をどうしたら変えられるかはわかりません。でも、「私だけじゃない」と思えたら、少しは気が楽になります。

 

暗い……

人と接するときはもっと明るい人間です

正真正銘の根暗なんだと思います

これからよろしくお願いします