自分が嫌いでなぜ悪い

27歳会社員 いまだに「意味」とか考えちゃう

自分で死に方を選べないのなら

新幹線で見知らぬ人に切りつけられたり、地震で建物や壁の下敷きになったり。どんなにまじめに生きていても、自分の努力ではどうにもできない死がある。

そんなことが起きなくても、多くの人間は自分の死に方を選ぶことができない。場所も時間もそうだ。普通に歳を重ねたとしても、最後は老人ホームや病院で、ご飯を食べさせてもらって、トイレの世話もしてもらって、いつかやってくる最期の時を迎えるのだ。

 

明日消えるかもわからない命なら、お金のことや仕事のことなんか気にしないで、自分の足で好きなところへ行き、見たいものを見て、それから死んでいきたいと思う。

きっと、私の性格では、どんなに自分の好きなように過ごしても、最期に「ああすればよかった、これもしたかった」と思ってしまうだろう。それでもいいから、せめて少しでも後悔のタネを潰していくためにあがいてみたい。

 

中学生のとき、読書の面白さを覚えて図書館に通った。床から天井までびっしりと埋め尽くされた本棚を眺め、それぞれに誰かが紡いだ物語があることを知り、「一生かかってもこのすべてを読むことはできないのだ」ということにショックを受けた。でも、地球上のすべての本を読むことができないからといって、もう1冊も読まなくてもいいとは思わない。自分にできる範囲で1冊1冊読み重ねていくことにも価値はある。

 

好きなことだけして生きるのは難しいことだろうか? わがままで荒唐無稽なことだろうか。でも、毎月毎月お給料から自動的に積み立てている貯金を、本当に訪れるかもわからない未来のために残しておいて、減った増えたに一喜一憂して、一生懸命働いて、ただ眺めているばかりで、それで自分は幸せだろうか。明日死ぬことになっても、後悔しないだろうか。

 

先日、コミックエッセイ『大家さんと僕』で、手塚治虫文化賞短編賞を受賞した、カラテカ矢部太郎さんのスピーチがとても心に残った。

 

僕はいま40歳で、38歳のときに漫画を描き始めました。38歳で漫画家になると言ったら、普通は周囲が全力で止めると思うのですが、僕の場合は、「作品にした方がいいよ」と言って下さった方がいました。倉科遼先生は僕の漫画をとても褒めて下さって、自分が自費出版してでも出したいと言って下さいました。相方の入江くんもすすめてくれて、入江くんの方は僕はあんまり覚えていないんですが、本人がそう言うので、そうなんだと思います。

 だから、新しいことに挑戦するのが苦手な僕ですが、描き始めることができました。他にも、デジタルで描いているので、文明の利器に助けられたということもあると思います。

 でも一番は、大家さんがいつも、「矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね」と言って下さっていたのですね。ご飯を食べていても、散歩をしていても、ずっといつも言って下さるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきて……。これはあまり人には言っていないのですが、僕の中では、38歳だけど18歳だと思うようにしていました。だからいま、20歳(ハタチ)なんです。何を開き直っているんだと思われるかもしれませんが、これは本当に効果があって、10代だと思ったら大概の失敗は許せました。

引用:口下手なカラテカ・矢部太郎の言葉に会場中が号泣! 手塚治虫賞贈呈式の受賞スピーチ全文 | イベントレポート | Book Bang -ブックバン-

 

38歳で漫画を描き始めた矢部さん。20歳若返って18歳だと思うようにしていたら、大概の失敗は許せたというその言葉は、「27歳だから。もう学生じゃないんだから。みんなまじめに働いて、結婚したり子供を産んだりしてまっとうに生きてるんだから」と自分で自分を縛っていたことに気づかせてくれた。

 

自分で自分の死に方は選べない。もしかしたら、それが明日になるかもしれない。そんなときに少しでも後悔しないような生き方をしたい。

 

人気俳優の年齢を追い越してしまったときの切なさと言ったら

 

27歳。まだ老いを意識してびくびくするような年齢ではないけれど、かといって「楽しければよくない?」とその場のノリだけではしゃげる年齢でもない。「ついこの間まで大学生だったから(震えぎみ)」という自意識はありつつも、新卒で入ってきた子を目の前にすると「若いな〜〜」と目を細めてしまうような、老いと若きのはざ間で揺れるお年頃だ。

 

たぶん、25歳を過ぎた頃からだと思う。人気が出てきた旬な俳優や歌手、スポーツ選手などをテレビで見ていると、自分より年下なことが多くなった。中川大志さんとか、菅田くんとか、高杉真宙さんとか。「最近ドラマでよく見るー。顔整ってる〜。かわいい〜。…96?96年生まれなの? めちゃ年下やないかい」。

 

箱根駅伝やオリンピックなんかを見ているとほんとにびっくりする。こんなに正々堂々と大きな舞台で活躍しているのに、自分よりも年下だなんて…。まだ20歳そこそこじゃないか。羽生くんだって、宇野くんだって、みんな年下。

 

 

彼・彼女らの年齢を知って押し寄せる、この何とも言えない寂寥感に名前はあるのだろうか。

 

 

別に驚くようなことではないのだ。昔大好きで大好きで仕方がなかった初代モーニング娘。だって、当時のメンバーは10代から20歳前後くらいだった。リーダーの中澤裕子さんだって、当時の私にはめちゃ大人に見えたけど、デビューした時は24歳とか。24歳なんてぜんぜんおぼこい。でもすでに何かを成し遂げた人になっていたのだ。自分が24歳だったときとはまったくちがう。

 

今までは、「今をときめく人」たちって、基本的に自分より年上だった。だからどうというわけではないけれど、どこか安心材料にはなっていたのかもしれない。「自分もそれくらいの年齢になったら、何者かにはなっているはず。迷いなく人生を歩めているはずーー」。

 

でも、ぜんぜんそんなことない。いまだに「人生どうしよう、今の仕事でいいのかな。お金大丈夫? 結婚とか出産とかそろそろ考えたほうがいいの?」、そんなことをぐるぐる考えるし、人生に確信めいたものもない。だからこそ、自分よりも若い人がすでに「何者」かになって活躍しているのを見ると、切ないような何とも言えない気持ちになるのかもしれない。こういう気持ちになるのって、歳を重ねるうえで皆が通る道なのだろうか…。

 

上を見れば、自分より上の年齢で活躍している人だってもちろんいることも知っている。でも、その活躍が何かと話題になる人が、自分よりも年下だと、ドキッとする。そのうちそれが普通のことになって、何にも思わなくなって、流行りさえも興味なくなる時が来るのかもしれないなあ。(現に最近までWANIMAを知らなかった)

あの日電車に飛びこんだのは私だったと思う(終)

 

会社へ戻る電車をホームで待つあいだ、

 

「次にホームに流れてくる電車に、飛び込んでしまおうか」

 

と思った。そうしたら会社に戻ってから上司につめられることもないし、この無味乾燥で何も感じられない日々から開放される。生と死はほんの紙一重だ。一歩足を踏み外せば、一瞬でこの世のものではなくなってしまうのだから。

 

「一歩踏み出せば楽になれる……」

 

そう思っていると、アナウンスが流れた。いよいよ電車がホームに滑りこんでくる。もうこれで、楽になれる。やっと楽になれる。

 

ーーでもそうはならなかった。私が飛びこもうと思って待っていたその電車が、一駅前で、人身事故で止まってしまったのだった。電光掲示板の表示が「人身事故・運転見合わせ」にすぐに切り替わった。私が飛びこむはずだった電車に、それよりも早く飛びこんだ誰かがいた。その人が助かったのか、死んでしまったのかはわからない。

 

ホームにぼーっと立ち尽くしながら、さっきまで頭をよぎっていたことを思い出し、我に返る。

 

誰かが、電車に飛びこんだ。きっと誰でもよかったのだろう、その日電車に飛びこむのは。私でもよかった。でも何かの導き合わせで、私ではなかった。大袈裟かもしれないけれど、生かされるってこういうことなのかもしれない。そのとき、もう「電車に飛びこむ」という考えは頭の中から消え去っていた。長いこと待って、ようやく運転再開した電車に乗って、会社に戻った。当時にしては珍しく、不思議と心は落ち着いていた。

 

この体験をしたことで、人身事故は起こるべくして起こるものではない、と思うようになった。人身事故では遺書はあまり見つからないと聞いたことがある。死ぬつもりで飛びこむのではなく、「現実から一瞬でも逃れられるなら」という思いで、衝動的に飛びこんでしまう、というのが実際のところじゃないだろうか。ふと頭をよぎって、すっとホームの外に足を踏み出してしまう。関係のない大勢の人に迷惑がかかるとか、ものすごい賠償金が遺族にいくとかそんなことを考えていたら、飛びこみ自殺なんて絶対にできない。ただ一時でも楽になりたいという思いだけなのだろう。そう思うと、たまに遭遇する人身事故に腹をたてることもなくなった。あの日死ななかった自分と、今日もどこかで死んでゆく人。その違いは何だったんだろうと、今でも思うことがある。

 

それから、私は会社を辞めることを決意し、上司に報告をするのだが、なぜか辞めるのではなく「異動」が決まって、ちがう職種に移った。「笑うようになったね」と言われるようになった。営業時代の私は、笑わないし、しゃべりもしなかった。本当に陰気くさい新人だった。

 

この話題を書きはじめたのは、異動して何年も経っているのにいまだに当時のことを思い出して悶々となることがあるからで、書き出すことで成仏できたらという思いからだ。だからもうこれで本当におしまいだし、これからどう生きるか、何をするかを考えるために時間を使っていきたい。

あの日電車に飛び込んだのは私だったと思う(中)

朝起きた瞬間から、疲れていた。体が重くて、起きるのもしんどい。

 

それでも20分で身なりを整え、会社に向かう。始業の3分前の出社になることもしばしばあった。

 

休む、という選択は不思議と浮かばなかった。休んでも私のノルマが減るわけではないので、残りの日数で受注をとってこなければならない。

 

朝、朝会の前には社歌をフロア全員で歌うが、その音楽が流れ出しただすと、ツーっと涙が出てくるようになった。何も悲しくないのに。あまりにも突然なので、びっくりしてしゃがんでカバンからハンカチを出して涙を拭く。

 

外回りに出かける前に、メールを処理する。感情を伴わない作業なのに、また涙が出てくる。トイレに立って、泣いてもいいが、泣いてもノルマが減るわけではないし、むしろ外回りの時間が減るだけだ。涙が出るときは鼻水も出るから、グジュグジュいいながらパソコンに向かう。朝からそんな感じなので、周りの先輩も迷惑だったろうと思うと申し訳ない。そんな先輩たちもけっこうな数字を課されてパンパンなので、「大丈夫?」などと言える状況ではない。

 

毎月の数字は相変わらず達成できなくて、月末が近づいてくると、上司につめられる。できていないから当たり前だ。

 

行き帰りの電車の中では、転職サイトを眺めるようになる。本当に活動をするためではなく、眺めていると「ああ、世の中にはこんなにたくさんの仕事がある。私は今の会社でダメになってもいいんだ」と思って楽になるからだ。精神安定的な役割だった。

 

新人なのに、笑わないし喋らないし脈略なくタラタラと泣いてばかりいる。数年ぶりに入った新人がそんな状態で、先輩たちも鬱陶しかったのではないだろかと思う。

 

自分が売らなければいけない商品に対しては、なんの愛着も熱意もなく、「受注がもらえればなんでもいい。人気商品でも廃盤寸前のものでもどっちでもいい」とさえ本気で思っていた。営業という仕事は、売りこむ商品やサービスのことを、自分自身でも心から「いいものだな」「もっと多くの人に知ってほしいな」と思っていないと厳しい。……当たり前のことだけれど、本当にこれに尽きると思う。

 

「明日行ったら辞めよう。明日行ったら辞めよう」

 

そう思って毎日暮らしていた。

どうしてこんなにしんどくなってしまったのかが分からないから、どうすればまた以前のような状態に戻れるのかもわからない。つらいのは私だけじゃないのに、こんなことで大丈夫? 私。

 

12月になったある日、担当の地域を一通り回り終えて、夕方になった頃だった。その頃にはもうなかなかの無感情状態で、死にたい、楽になりたいとばかり思っていた。「会社辞めたい」というよりも「死んでしまいたい」という氣持ちのほうが勝っていたと思う。

ただ、実際に行動を起こそうと思ったことはなかった。なのに。

 

 

(中)に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日電車に飛び込んだのは私だったと思う(前)

 

 

新入社員が自殺したニュースや、電車が人身事故で止まるアナウンスを耳にするたび、「ああこれは私だったのかもしれない」と考える。

 

 

私も入社1年目、地獄を見た。人間ではなかった時期がある。

人に言わせれば「大げさ」で「弱い人間」なのかもしれない。それでも苦しくて、追い詰められ、自分で追い込んでもいた。

 

 

新卒で入社した会社では、最初営業に配属された。4月いっぱいを座学の講習で過ごし、5月、ゴールデンウィークが始まるころには、「研修生」という身分だったが、一人で自分の担当地区を回りはじめた。もともとそんなに社交的な人間ではないので、少し緊張はしたものの、いわゆる「飛び込み営業」とは違って、相手先も私が来るのをわかっている。数回訪れもすれば「〇〇社の〇〇です」と名乗らなくても、挨拶をしてもらえるようになった。

 

7月、研修生ではなく正式に営業部に配属が決まった。それまで一緒に営業で研修をしていた同期も、それぞれの配属先へと散ってゆく。私はその部署で唯一の新人になった。新人が入るのは3、4年ぶりのことだった。

 

営業という職種には、ノルマ、数字の負荷はつきものだ。これはもうしょうがない。

 

当然研修中も毎月の目標があったが、あくまで「研修生」という仮の身分なので、達成できなくてもそれで上司に詰められることはなかった。ところが、本配属になれば、そういうわけにはいかない。

 

正式に配属になって1ヵ月、8月のお盆を過ぎたあたりだろうか。私の進捗が芳しくないのを見た上司に「君は担当地区の巡回だけしかやってないのだから、これくらい(私のノルマ)はやってくれるかなあ?」と強い口調で言われる。

 

当然である。やるべきことができていないのだから。

 

のどの奥がカッと熱くなって、グッと何かがこみ上げる。上司の机の前で、「はい」と答え、自席に戻る。そのやりとりを聞いていた、指導員の先輩に「今けっこうキッツいこと言われてたね、大丈夫?」と声をかけられる。すると涙があふれてきて止まらなくなる。当たり前のことを言われただけなのに、どうして涙が止まらないんだろう。

 

でも、泣いても私のノルマが減るわけでも、受注が増えるわけでもない。泣いて時間が消費されてしまうほうがもったいない。早く会社を出て回らなければ。また進捗が遅れてしまう。

 

泣きながら会社を出て、泣きながら電車に乗り、自分の担当地域へと向かう。その日、ちゃんと受注ができたのかは覚えていない。ただ、不自然に赤い目でやってきた営業担当に、商品説明を受けた相手先の人はどんな気持ちだったろう。ふつうに困るよな、と思うと申し訳ない気持ちしか出てこない。

 

その8月を境に、どんどん私は閉じていく。

 

 

 

 

→(中)に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ものを少なくしたい&一人暮らしにおすすめのキッチン用品

お題その2「今年、買ってよかった物」

 

年の瀬せまる今日この頃、私も今年買ってよかった物をあげたいと思います。

こちらです。

 

fanマルチロースター

ユニフレーム(UNIFLAME) fanマルチロースター 660072

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出典:

fanマルチロースター | ユニフレーム アウトドア用品総合メーカー

 

ユニフレームという国産のアウトドアメーカーの、ロースターです。

パンでもお餅でも、野菜でも、網に乗るものならなんでも焼けちゃう便利な道具。私は主にパンを焼くために使用しています。

 

私の家にはトースターがなく、パンを焼きたいな〜というときは、フライパンで焼くか、電子レンジのトースト機能を使うかしかありませんでした。

トーストは安いので、すぐにでも買えてしまう品物ですが、一人暮らしの私にとって、使う用途はパンを焼くくらい。

なのにキッチンでは一丁前に場所をとり、試行錯誤を重ねた結果、冷蔵庫の上に電子レンジ、その上にトースターというなんとも危険な配置をしていました。

 

ところが。

東日本大震災が起こった当時、東京在住で、たまたま外出先にいた私がマンションに帰ると、床には落下して変形してしまったトースターの姿が。

しっかり扉が閉まらなくなったトースターは、加熱しても熱が外に逃げてもう使い物にならず、処分することに。それ以降5年ほど、なんとなく新しいものを買わずに今に至るのでした。

 

そんななか、現在京都に暮らす私が、ふらっと立ち寄った暮らしまわりの用具を揃えたお店で買い求めたのがこの商品です。

購入してから2ヶ月ほど経ちますが、使ってみて良い点をあげていきます。

 

 

良いところ①

折りたためてコンパクトに。場所をとらない

 

キャンプ用品の素敵なところは、持ち運びに便利なように、なんでもコンパクトになる点ではないでしょうか。テントやテーブル、イスしかり。

このマルチロースターももちろん、コンパクトに折りたためて、かさばりません。箱に入れてシンクの下の収納にいれて置けば、外に出しておく必要もなくて見た目にもスッキリ。

 

 

良いところ②

ガスコンロであっという間に焼けて、しかもおいしい

 

直火で焼いたトーストはやっぱり美味しいです。電子レンジでやると、ゴムみたいな食感だし、お皿も熱くなりすぎる。フライパンだと、美味しいのだけれど焦げ目が均等につかず、耳から真っ黒に。

火加減を間違えなければ、こんがりいい焼き目で、中はふわっとしたトーストがすぐに食べられるのはやっぱり嬉しいです。

 

 

良いところ③

2枚焼きもできる

 

なんか今日は2枚食べたい気分だわ〜、もしくは(まだ見ぬ)恋人の分も焼いちゃおう〜というとき。網の置き方を変えれば、下の画像のように2枚焼きも可能なのです。これもとっても便利。

 

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出典:

fanマルチロースター | ユニフレーム アウトドア用品総合メーカー

 

 

良いところ③

値段がお手頃

 

最近はおしゃれな人たちの間で京金網の焼き網が大人気だそう。インスタグラムでもよく見かけます。その見た目の美しさに、私も欲しいな〜と思っていたのですが、お値段もやっぱり相応の価格……。でもこちらのマルチロースターは2000円程度と、お手頃です。国産メーカーの製品なので作りもしっかりしていますし、ちゃっちい感じも無いと思います。

 

場所をとらずに、美味しいトーストを楽しみたいと思っている方にはぜひおすすめです。直火で焼いたトーストの味を、ぜひ堪能してみてほしいです。

 

ユニフレーム(UNIFLAME) fanマルチロースター 660072

ユニフレーム(UNIFLAME) fanマルチロースター 660072

 

 

 

 

 

「この世界の片隅に」は今年No.1かもしれない

 

観た人みんな「よかった」「よかった」と口を揃える映画、

この世界の片隅に」を観てきました。

 

はい、よかったです。号泣というよりは、心の底からじんわりとこみ上がる深い感動でした。戦時中の昭和19年、18歳で広島から呉にお嫁にやってきたすずさん。モノは無いし、空襲はどんどん来るけれど、当時の人々の日常を淡々と綴りながらストーリーは進んでいきます。

 

よかったところ

 

①音楽がいい 

君の名は。」もそうだったのですが、グッとくる場面で流れる音楽に心を打たれました。序盤、タイトルが流れる場面で流れてくるのはコトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」。ゆったりとした曲調に、のんびりした気持ちになりますが、歌詞は切ない。ああ、この当時は文字通り、泣いても嘆いてもどうにもならない、誰のせいにもできなくて、やりきれないことがたくさんあったのだろうなと思いを馳せます。

 

②すずさんがかわいい

主人公のすずさんがもう可愛すぎる。ぼけっとしているけれど、穏やかで、みんなに大切にされているから、擦れてない。失敗しても、「ありゃ〜」って顔をしてのほほんとしているのもいい。すずさんの声を演じたのは、能年玲奈あらため「のん」さん。彼女の声がすずさんと一体化していて、素人っぽさもまたよいのです。

そしてすずさんの特技は絵を描くこと。彼女が描いた絵がそのまま動き出したりして、ちょっとファンタジーっぽい演出も素敵でした。彼女が絵を描き続けることも、この話の重要ポイントなんですよね。

 

③生活の描写がいい

戦況が悪くなるにつれて、食べ物の配給が少なくなったり、着るものにも困るようになっていきますが、すずさんたち家族に悲壮感はありません。摘んできた雑草をいろんな料理に入れてアレンジしたり、着物を裁断して上着とモンペに作り替えたり。しんどいことに目を向けて、下を向いていても状況は変わらない。どうせなら楽しく過ごすほうがよっぽどいい。すずさんがドジを踏むシーンでは会場から笑い声が。かつての戦争映画で笑い声が起きたことはあっただろうか。

 

④すずさんの夫・周作

この夫……もう出来すぎる……。周作の希望で、広島から離れた呉へと嫁入りすることになったすずさん。彼がたった一人嫁いできてくれたすずさんのことをどれだけ大切にしているか。それがもう伝わりすぎてつらい。後半、すずさんものほほんとしていられない出来事が続いて、とうとう「広島に帰る!」といっても、彼は彼女を責めない。

あとは随所随所に出てくる夫婦のシーン。直接的な描写は無いけれど、なんというか妙に感じるなまめかしさも、リアルです。

 

戦争映画というと、重々しくて重厚で、観終わった後はズーンと落ちて、しばらくどんよりしてしまうことが多かったです。けれど「この世界の片隅に」はその「ズーン」とはまた違った感情で、しばらくぼーっとしてしまいました。

戦争はこんなに悪いことなんだ、ということを伝えたかったのもあると思う。けれどそれは後からついてくるもので。あの当時を生きていた人たちは、戦争がよいとか悪いとかそんなことを考えるよりも、とにかく生きることに精一杯だったのだろうと、これが本来の姿だったのだろうと思うのです。

 

この世界の片隅に」で頭がいっぱいになった私は、映画を観た翌日に、原作の漫画も上中下巻読破しました。省かれている描写は少々あるけれど、かなり原作に近いように思いました。映画は映画で素晴らしいし、漫画もまた素晴らしい。監督に「なんとしても映画にしたい」と思わせるほどの力が原作にあったのですね。

 

よい作品をみると、あたたかいものを食べたときのように、芯からぽかぽかしたよい気分になりますね。

この世界の片隅に」は細かいポイントがいくつも散りばめられているうえに展開も早いので、できればもう一度見に行きたいです。

 

 

 

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)